2011年02月27日

ふくやHPで明太子誕生の秘話を学ぶ

博多明太子の誕生秘話を、「ふくや」のHPの社長インタビューで知ることができます。
このインタビューで語られる創業者の理念がとても素晴らしい!
ふくや創業者・川原俊夫さんの社会に貢献したいという思いが、明太子を広め、多くの人に親しまれる食材へと押し上げていったのだということがわかります。
もし、創業者が強欲な人だったら、今、私達が明太子を味わうこともなかったかも…、そう思うと、ふくやさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

また、ふくやHPでは、「漫画博多明太子物語」というweb漫画を配信しているのですが、Windows環境じゃないと見ることができず、まだ未確認です。Mac版も配信してくれることを願っています。
ラベル:明太子 福岡
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2011年01月17日

辣油辛子明太子という試金石

今回集まったTMC理事・幹部が「辣油辛子明太子」を口にした時、一同が一様に首をかしげた。代表はこの時、TMCという組織の健全さと、「魚卵味」という守るべきものの大切さを確実に自分のものとしているメンバーを誇りに思った。

辣油辛子明太子は判断の難しい一品であった。
辣油が白米との相性がいいことは既に承知していたし、明太子は言わずもがなである。その組み合わせに外れがあるはずがない。そう思ったのは、島本食品の味を支えてきた職人藤田だけではなかったはずだ。TMCでも以前、戯れに「たらこ」に辣油を合わせたモノを「第三の明太子」といって採りあげたことがあった。これは、ビールに対する発泡酒、あるいは第三のビールと呼ばれるリキュール類を、明太子そのものに対して「第二類:和え物」といった感覚で紹介したものだった。つまり我々TMCの認識では「辣油辛子明太子」は「第二類」のイカ明太子、イワシ明太子、手羽明太子に相当するモノとして考えていた。
だから皆、この「辣油辛子明太子」の評価に困った。
職人藤田の考えがどうだったかは我々には判らない。あるいは社内でもこの商品をどうリリースするのか? が検討材料に登ったのかも知れない。職人気質の藤田は、これを明太子のラインアップに加えることを思い悩み、眠れない夜が続いた、かも知れない。しかし、世は辣油ブームであった。御飯にかける辣油は既に世間に認知されている。島本にとっても好機かも知れない。藤田は櫛田神社境内のこども相撲で、砂のついた少年の尻を見ながら、自らの迷いに決断を下した、かもしれない。妻と、中学二年生になる娘にも意見を求めた、かもしれない。昼下がりの春吉橋をわたりながら、片づけられ、シートをかぶった屋台の屋根にとまるカモメを見つめながら、何かを決心した、かもしれない。
辣油の味はそのものがきつい。しかし、それは白米には合う。そして、明太子とは、いや明太子の「魚卵」の風味とは明らかに喧嘩をしている。辣油の強い味を、にんにくの風味をどこまでに留めるか? おそらく最大の難問であったはずだ。
藤田の判断を迷わせたのは、おそらく白米と合わせた時の刺激だったのではないだろうか? 白米と合わせた時の「御飯のすすみ具合」を重点として考えれば、この「辣油辛子明太子」は良くできた商品であるとも言える。
だからこそ、TMCはひとつの異議を唱える。
明太子の命は「魚卵味」である、と。
TMC幹部が、是非とも職人藤田に会ってみたい、と口にしたのは、辣油辛子明太子の真意を本人の口から聞きたいと思ったこともあったからなのだ。

今、TMCの幹部は藤田に会うべく福岡へ旅立つ準備をしている。

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↑辣油辛子明太子。
ザーサイのような味がして、チャーハンなどにしたら絶対美味しいけど…、明太子としての判断が難しい。
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2011年01月16日

島本の新作明太子「極上天鷹」

第7回首都圏合同理事会にて、島本食品の新作明太子「極上天鷹」の試食が行われました。
前回の会合などで、最近の明太子は上品な味のものが多く「辛い」という印象より「旨い」ものが多いなあという意見が出ておりました。
そういう点からも、「辛さ」というものにポイントをおいた「極上天鷹」は大変注目されました。
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「極上天鷹」は、熊本県の人吉産の「天鷹唐辛子」を使用しています。島本食品の商品開発を手がける職人の藤田さんが、多くの唐辛子の中から選び抜いたものだそうです。
写真からもお分かりのように、タラコ本来のピンク色を、唐辛子の赤が上品に補い、鮮やかで美しいビジュアルに仕上がってます。
味の方ですが、口の中にスッキリ爽やかな唐辛子の辛さが広がりつつ、明太子の旨味は保たれ、「辛さ」と「旨さ」の両方がバランス良く感じらます。ビールでいうとスーパードライって感じでしょうか…。一般的に、「辛さ」というものを主張すると、それ以外の「味」がかき消されてしまいがちですが、この明太子は実によく計算されています。
試食をしたTMC会員からは、「素晴らしい!」「職人藤田とは何者だ?」「ぜひ藤田さんに会ってみたい!」と、明太子の新しい可能性を追求する藤田さんへの感動と共感の声が発せられました。
辛いけど美味しい明太子が食べたい人にはお薦めの一品です。
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2010年11月16日

第2の明太子?TMC特製あぶりタラコの食べるラー油和え

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明太子屋さんには申し訳ないが、TMCは「第二の明太子」を考案してしまいました。
TMC特製あぶりタラコの食べるラー油和え」です。
市販の生(塩)タラコを丸ごと魚グリルなどで炙り、半生状態にし、適当な大きさに切ります。
それに、食べるラー油を適当にあえるだけ。彩りに貝割れ大根など添えるのも良いです。
明太子とは一味ちがう、ピリ辛タラコ。ニンニクの風味がタラコに合います!
美味しい明太子が手に入り難い時、生タラコで代用できる絶品ご飯の友です。

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2010年03月17日

「にし川」の明太子をよそ者の道楽だと侮ってはならない

 姪の結婚式の帰りに、こんな私用の時でも調査を怠ってはならないと、福岡空港の明太子売り場をひと通り眺めた。調査を行ったのはTMCの代表と総務二課長であった。目を惹いたのは福太郎の「ワイン漬け」であったが今回は見送った。明太子とワインが合わないことは、我々の実食でも検証済みだったからだ。しかし、その探求心には敬意を表したい。今回は、TMCの開催予定がなかったことで見送ったが、次回は是非試してみたい一品である。

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 今回は、売り場の一角で、威勢のいいおばさんが売っていた「にし川」である。おばさんによると、西川きよしの息子が博多の嫁をもらい、この道に参入したのだという。大阪の漫才師の息子が明太子を作ってうまくいくわけがない、と高を括っていた。話としては面白いので、写真のパックを購入してみた。パッケージは上品で、中包みも洒落ている。高級明太子の領域に参入しているようだ。この分野は意外に競争が激しい。家庭用よりもやや高めで、高級料亭の味や、つけだれの贅沢感を売りにしている。椒房庵や稚加榮などの明太子がこれにあたる。大吟醸漬けなど浸けダレに付加価値を付けた製品もこの類だと言えるだろう。発見と失望が交叉するのもこの領域である。
 「にし川」も少し高価だ。しかし、パッケージをあけた時の明太子の腹具合が実に美しい。絶妙な色合いだ。
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しかし、TMCはそうした色合いに誤魔化されるわけにはいかない。何と言っても勝負は魚卵味である。ところが、この「西川」の魚卵味が、いい。何と言えばいいのか? 「いい」のだ。「いい」というのは、これ以上表現するのが難しい。以前、島本の明太子を「二番バッターの送りバント」と表現したが、「西川」は「六番指名代打のタイムリーヒット」とでも言うべきか。一番や四番といったチーム不動のポジションではなく、打撃を期待されていたが守備に不安があるために六番指名代打となっていたいた32、3歳の選手が、八回のチャンスに「もしも打ってくれたら儲けもの」といった場面で、左中間の当たりが思いのほか深く、レフトとセンターがやや遠慮をしている隙に転々とフェンス際まで転がって、三塁ランナーはともかく、鈍足の一塁ランナーまでもがホームインをしてしまったような味なのだ。期待と不安が相まって、また、ラッキーな状況も重なったのかも知れない。(これは嫁との相性という西川家の問題かも知れないが)とにかく、この粒感を侮ってはならない。御飯にもよし。おそらく「かぶ」合わせなどでは絶品だろう。大阪魂、恐るべし。
ラベル:明太子 グルメ
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2010年01月11日

イトーヨーカドーの明太子

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イトーヨーカドーで買った、セブンプレミアムの明太子。一昔前までは、東京のコンビニやスーパーで売られている明太子は、辛いだけで美味しくないというイメージがあったのですが、最近は企業努力で質が向上してきているようです。
低価格ながら、味はそこそこのレベルに達しています。日常的な食事にはこれで十分ではないでしょうか。安いし、味がしっかりめなので、調理用にも使いやすいと思います。

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ラベル:明太子
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2009年11月14日

しまもと「焼きめんたい茶漬け」

しまもと「焼きめんたい茶漬け」を試食しました。
お茶漬けで明太子といえば、鮭と梅干しに匹敵する定番具材です。
明太子屋さんのお茶漬けには、他店とどのような違いがあるのか、興味深いものがありました。

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メインの焼き明太は、一般的なフリーズドライ商品とちがい、半生状態で真空パック化されています。軽く焼いてありつつ、明太子のツブツブ感がなくならないよう、しっとりした状態になっています。

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お茶を注いでいただいてみると、なるほど、明太子へのこだわりがあります。
一般的な明太子茶漬けにくらべ、ツブツブ感があり、また、辛みがしっかりしています。お茶で薄められることを計算し、通常より辛みをしっかりつけているのです。
お茶漬けなのに、ちょっと贅沢だなあ…。
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2009年11月08日

〜優曇華の明太子〜

評価の困難さは、そのまま「明太子に求められるものは何か?」という難問と繋がっている
〜優曇華の明太子〜

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東京明太子倶楽部(TMC)の福岡視察の最終日、我々は次の課題を求めて幾つかの明太子を求めました。そのひとつが「優曇華の明太子」です。この明太子の特徴は、漬けダレにあります。同時のこの商品は、われわれTMCに大きな問題の再燃をもたらしました。
それは、「明太子に求められるものは何か?」という、おそらく答えのない難問です。
TMCの批評軸の中心は「魚卵味」と「素朴さ」さらに生産者の「勤勉さ」です。この批評軸は、「工夫」に対して微妙な距離を持っていると言わざるをえません。その距離は、明太子の味の多様さは本来の持ち味を損ねかねないという懸念に呼応しています。
優曇華の明太子は美味しいのです。漬けダレは「鯛だし」が非常に立っています。明太子に付いていた小さなリーフレットには、焼酎で仕込んだ味醂と大吟醸酒が使われていると書かれています。この美味しさをどのように評価するべきか?
ご存じのように明太子はご飯のお供であると同時に、単品の酒肴としても供されることがあります。優曇華の明太子はこの単品としての味の評価が難しい。少しダシの味が立ちすぎているという印象です。明太子の漬けダレ自体が既に強い味を持っているために、そこに負けないダシ味を強調すると、ここまで鯛だしを立ち上げなければならないと思います。御飯と共に食べる時に、それがまろやかに緩和されることが判ります。おそらく大根おろしなどと共に食すると味わいが面白くなると思われます。
つまり、何かと合わせる時に力を発揮する明太子です。鯛ダシは独得の旨みを持っているため、単独よりも協調性を発揮します。
TMCの難問とは、実はその微妙な関係なのです。
我々の批評軸で言えば、「工夫」が奇を衒ってはならい、と言うことになりますが、この商品は奇を衒っているわけではなく、丁寧さを重ねていることが、ダシの強調に繋がっているというものです。単品としての味わいか、あるいは何かとの協調性の評価か?
とにかく、興味深い一品です。

お取り寄せリンク→<大丸>ご当地自慢お取り寄せ
ラベル:明太子 取り寄せ
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「明太子ドロップス」と「もつ鍋ドロップス」

圧倒的に不愉快な食感と絶望的な後味の悪さ
「明太子ドロップス」と「もつ鍋ドロップス」
今回の福岡視察で入手したおまけから。
キャナルシティーで買ったこの二品です。
ばかばかしいお土産だと思ったけれども、味も徹底的にばかばかしく、なおかつ驚くほどの不愉快な味でした。ここまでやってくれると脱帽です。
「明太子ドロップス」の優れた点はまさかと思うツブツブ感です。「明太子の辛さが少し入っているんだろう」となめてかかると、舌にツブツブ感が襲ってきます。このリアリティーが実に不愉快なのです。しかも少し辛い。

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「もつ鍋ドロップス」は、何と言っても「ダシの味がする」不愉快さがずば抜けています。「ちょっとしょっぱいくらいだろう」となめてかかると、「本当にこんな味だな」と思わせる「疑似もつ鍋感」が襲ってきます。しかも少し甘くて、息が臭くなります。「車酔いしそうだ」という意見もありました。この絶望的な後味の悪さは、試しになめてもらった10人くらいが、全員、揃って口にしたことでした。これほどに人を絶望的にさせるお菓子は経験がありません。明らかに制作者に「悪気」があります。
写真は、それらを無理矢理試食させられる人達です。
因みにTMC(東京明太子倶楽部)では、この種の加工製品を「第3類:明太子を原料の全部または一部に含むが商品としては別種のもの(明太マヨネーズ、明太子/皮ドライ、明太子蒲鉾、明太子煎餅など)」と分類しています。しかし、今回、「ドロップス」を第4類として排除するべきではないかと考えています。「赤い恋人」などは別種のものとしても楽しい発見がありました。これらを第3類として認めるならば、「ドロップス」はあまりにも悪意のある味です。面白さにもほどがあります。
今回は素直に降参しました。

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2009年07月15日

失われつつある「典型あるいは原点」の美しさを思い出させてくれる「ほづみの辛子明太子」

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 7月の通巻71号で『大航海』が突然の終刊した。熱心な読者ではなかったが、時々はその特集に惹かれて手に取っていた。「歴史・文学・思想」を掲げた総合批評誌が姿を消すことは、こうした硬派な活字媒体が売れないことを直に反映している。雑誌といえば、今や駅で手軽に手に入るフリーペーパーに等しい。「無料」であるということは、そのクオリティーを保証することも、広告的な偏向を避けることもなく、単に情報の集まりであることに無自覚な者には魅力的に映る。「無批判なお得感」は世間に蔓延している。
 『大航海』の終刊号には、三浦雅士の「時代概念の終わり」という一文が、悲しげな怒りと共に巻末にある。小林秀雄の戦後詩あるいは文学史への影響をひとつの「典型」として捉え、時代そのものが自らの虚構を結晶させるためにも「典型」が必要な触媒であったのだという。現在の学生が小林の名を知らぬことは「典型」が無意味になった時代を反映しているのだと。「典型が不必要になったのは、時代概念が不必要になったからだ。時代が長く意味を持ったのは、世界が農業生産に負っていたからだ。」と続ける。「勤勉は価値でなければならなかった。だがいまや誰の目にも、勤勉なものはいっそう貧しく、怠惰なものはいっそう豊かになっているではないか。価値を生むのは労働ではない。差異を見出す敏捷さである。範例となるのは農業ではなくむしろ狩猟なのだ。本ではなく携帯電話なのだ。中枢ではなく端末なのだ。」
 勤勉なものの貧しさが、現在に固有な問題だとは思わない。しかし「正直者がばかをみる」ことが緩やかに蔓延したのは、おそらく80年代から少しずつ失われていった「勤勉への敬意」が、狩猟型の生き方への憧れに取って代わられたためであろう。素早い時代感覚とは、それが単に、誰かよりも早く情報を手にしたに過ぎないこととは気づかず、あるいは、その事の愚かさを集団で隠蔽した成果であったならば、状況を俯瞰する時代概念は、不要と言うより邪魔モノであった。
 「典型」や「原点」は、決して携帯電話の無料サイトで手に入るモノではない。

 こんなことを長々と書いたのには理由がある。東京明太子倶楽部は勤勉な者を正当に評価したいからだ。
 辛子明太子を生産し販売する行為は、言うまでもなく水産業に準拠している。農業ではないにしろ、種を蒔くという行為は魚介類の養殖や畜産にも似ている。こうした一次産業が、いま、勤勉をひとつの価値としていることにもっと注目してもいい。生産者の顔が見える製品作りや、有機農法などの手間のかかる作業、飼料の安全性を商品価値に変えている。多少高額でも、良いものを口にしたいというニーズは増え続ける。もちろんそれが、「貧乏人は安くて危険なモノを食え」という資本主義の悪癖に転化されてはならない。一方でこうした風潮は市場を動かしている。しかし、確実に「勤勉の価値」を評価する兆しは定着へと進んでいる。

 「ほづみの辛子明太子」を口にした時、上記の三浦の言葉を思い出した。「差異を見出す敏捷さ」以上の何かを、この明太子は教えてくれる。例えばJR博多駅の土産物売り場には、驚くほどの種類の明太子がある。メーカーもおそらくここ10年ほどで飛躍的に増えたはずだ。私が子どもだった30数年前には、母親が「ふくや」よりも「福太郎」が美味しいとか、その程度の選択肢だったはずだ。もちろん、私や母親が知らなかっただけで、そのころから明太子を作っていたメーカーもあっただろう。しかし。確実に今より遙かに少なかったはずだ。それらはまさに「差異」を強調している。大きさや量はもちろん、辛さの度合い(一時は激辛も流行った)、柚味、梅味、昆布だし、吟醸仕込み、といったタレの違いを強調している。それはそれで、ひとつの楽しみではあるし、よくぞこのバランスを作り出したと感動することもある。しかし、過剰な差異の創出は、悪くすれば、より刺激の強い味を求める若者舌に迎合しかねない。コンビニに並ぶ哀れなポテトチップスを見よ。若者舌に迎合するから、原形を留めないような無様な味覚を提供することになるのだ。明太子のポテトチップス化だけは、避けなければならない。「典型」や「原点」を比較する為には、正当で繊細な批評がやはり必要なのだ。

 「ほづみの辛子明太子」は島本食品のブランド内ブランドである。島本食品の製品はこれまでにも幾つか取り上げ紹介してきたが、実はその勤勉さにうっすら感動している。国内産のタラコにこだわる為に、魚卵の粒は総じて小さい。これは以前にも指摘したとおり、われわれTMCが重視する「魚卵味」とはすなわち魚卵の粒の大きさを意味しない。その評価基準は味の繊細さとバランス感覚なのだ。粒の大きなものは、大きなものとしてバランスのある味付けがあればそれは面白い。小さく繊細な粒には、より大きな気遣いが必要なのだ。

 この「ほづみ」にはそれがある。辛子というよりは塩気を重視した懐かしい味付けである。昆布を下味に、柚を隠し味程度に配合しているが、全面には感じない。塩気だけではない「何か」という嬉しい発見がある。それは露骨な「何とか味」ではなく、僅かな風味としての昆布であり、柚であるのだ。こうした「風味」に似た繊細な言葉も少しずつ失われていくのかもしれない。
 幾つかの「典型」と「原点」を維持すること。島本食品にはそれを期待したい。

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↑ナチュラルな色合いの「ほづみ」。爽やかな味わいだが、実は塩味、辛み、旨味もしっかりある。



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