2015年04月23日

かねふくの明太とんこつラーメン

明太子のメーカー「かねふく」が監修したとんこつラーメンです。板橋のマルエツで見つけました。明太子をどのようにトッピング材料にしたのかが気になっていました。実際の明太子をラーメンにトッピングすると皮から離れた部分は分散してしまうからです。これをどのように解決したのか? 何らかの方法で小さなかたまりに固定し、その形状を維持しています。魚卵が汁に溶け出しているというよりは、つぶが1平方センチメートル位の大きさで残っています。これがなかなかの食感でした。
この商品のラベルに2015年3月に神戸に「めんたいパーク」がオープンすると印刷されています。われわれはすでに「大洗めんたいパーク」は見学していますが、神戸が三箇所目なんですね。3月13日にオープンしたようです。
http://mentai-park.com/park/kobe/

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2013年05月23日

「ライフ」で買ったイカ明太は、安くて濃厚な味でした

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最近は、スーパーやコンビニでも明太子や明太子の和え物が売られています。見つけると時々買って試してみます。「ライフ」で見つけたのは「イカ明太」でした。初めて見るメーカのものだったのですが、納豆並みに安い。これは試してみるべしと3パックのセットを買ってみました。明太子の和え物はTMC(東京明太子倶楽部)の分類では、第二類、つまり和え物、異母類で、明太子の薄皮などを加工した商品も含みます。
この商品は、かなり濃厚な味付けでした。イカ明太と言えばTMCでは島本食品のイカ明太をおすすめしてきましたが、別物として面白い。島本のようなイカのプリプリ感と爽やかな「和え感」とは違いますが、ご飯のお供や「冷や奴のせ」、あるいはパスタやチャーハンにはうまく合いそうです。うにの瓶詰めの違いを思い出しました。「塩雲丹」などの鮮度を生かして塩だけでつけたものと、粒ウニでペースト状になっているアルコール漬けのものがありますね。あんな違いです。
この値段を考えると、惣菜としてはお得ですね。もちろん美味しいイカ明太も食べたくなるのですが、日常的にはこれでも楽しめます。
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2013年03月08日

幾つもの物語が「博多の明太子」を生み、育てた…。『明太子をつくった男〜ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営』を読んで

明太子をつくった男: ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営 [単行本] / 川原 健 (著); ...について。
明太子をつくった男: ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営 [単行本] / 川原 健 (著); 海鳥社 (刊)

愛される商品には物語がある。消費者である僕らは、商品と一緒にその商品をめぐる物語も購入する。ここでいう物語とは、「商品開発までの感動の秘話」といった類の安いストーリーではない。物語とは「モノ」と「カタリ」との関係の総体を指す。「カタリ」は生産者であったり、消費者であったり、周囲の人達だったりする。感動や悲劇はそこに付随する後づけの読後感にすぎない。「モノ」と「カタリ」の関係は、しばしば恣意的で個的な選択や判断の連続によって積み重なっていく。それは個人の物語に限らない。グループの、会社の、あるいは地域の物語として、厚みを伴って僕らに届く。愛される商品には必ずそうした物語があるはずだ。物語が激動である必要もない。カタリによって選ばれた言葉が、丁寧に細部を描写する。それだけでいいのだと思う。

 本書の読後の感想は率直に「そうだったのか、川原俊夫さん、ありがとう」だった。福岡では有名な「味の明太子」の「ふくや」が、創業者・川原俊夫の生誕100年を記念した企画として、本書は編まれている。著者は川原俊夫氏の次男で、社長も歴任し現在は「ふくや」の取締役相談役である。したがって社史と創業者の個人史という側面は持っている。しかしそれは、よくある創業者礼賛や経営術指南の企業本とは一線を画している。なぜか? 戦後から起ち上がる中洲の市場や周辺の様子が、著者の幼少から青年期までの記憶と呼応しながら、活き活きと描写されているからであろう。博多を知らない人でも、そうした風景が見えてくるのではないかと思う。しかし、それは、「かつての元気だった日本を思い出す」といった類の昭和のノスタルジーとも違うのだ。個人史というのは面白い。僕も市民ビデオに長く関わっていたので、個人史が描かれる映像をたくさん目にしてきたが、そこには、作者が大切にしたいと思った細部があふれるのだ。この本に通底しているのも、そうした愛情と感謝と思い出にあふれた、家族だけが感じることのできる細部なのだ。誰の人生でも映画になりうる。そして、劇的ではなくとも、つまらない人生はどこにもないのだと思う。

 本書は大きく分けて3つのパートで構成されている。第1章「明太子づくりへの執念」は朝鮮半島の釜山で出会った明太子を、博多・中洲で「味の明太子」として誕生させるまでの経緯である。この章の冒頭「博多土産の定番 辛子明太子」は序章にあたり、現在の博多の明太子業界の状況と「ふくや」の新しい取り組みが、短く紹介されている。この冒頭に出てくる、スケトウダラの魚卵の色味がひとつひとつ微妙に違う、という話も面白い。「白系は卵のお母さんであるスケトウダラがイカをエサにしていたから。赤っぽいのはエビやカニが主食だったから」なる説が社内でまことしやかに語られている、という。本当かどうかはさておいて、こうした小さな物語が、明太子の魅力に深みを添えていると、僕は思う。この章では戦後の闇市時代から、「ふくや」の創業、そして「明太子」が博多の代表的な土産物になるまでが描かれる。第2章「川原俊夫の遺言」は「ふくや」を起業し、明太子業界のリーダーへと成長させていく過程が描かれる。魚卵の安定した仕入れや、低価格の設定、品質管理への厳格さなど、川原俊夫の理念が形となっていく。そして第3章「ふるさとへの恩返し」は川原俊夫が大切にした地域貢献・協働活動が、中洲の再開発や博多地区の都市計画、祭りやさまざまなイベンを通じて、ひとつずつ実を結んでいく様子と、地域の発展に執着した川原俊夫の人物像が描かれている。
 
 東京明太子倶楽部の代表である僕は、「明太子」のルーツが朝鮮半島で、「明太」がタラを意味し「ミョンテ」と呼ばれていることは知っていた。「ミョンテ」の「子」だから、「明太子」だと書いてあった。それもおそらく以前に調べた「ふくやのHP」でみたのだと思う。椎名誠さんの本にも記述があったと記憶している。倶楽部のメンバーが韓国に旅行した時に持ち帰った「明太子」は、土産物として「明太子のルーツ」と紹介されていて、味付けが博多から逆輸入されたような日本向けのパッケージだった。そういうバラバラだった知識が、この第1章「明太子づくりへの執念」を読むことでスッキリとつながった。

 博多の明太子は奇跡の産物である。その理由のひとつは、川原俊夫が沖縄で終戦を迎えたことである。大正2年(1913年)1月25日に朝鮮半島の釜山市で生まれた俊夫は、幼少期をこの地で過ごし、そこで、「メンタイ」と出会っている。その頃の朝鮮半島には2万5千人を超える日本人が住んでいたという。「メンタイ」は乾物屋で売られていて、高価なものではなかったらしい。福岡市と釜山市は地理的にもとても近い。20年前からはJR九州の高速船が運行し、約3時間の距離である。福岡、釜山の双方の観光客やビジネスマンが行き来している。スケトウダラと言えば、北海道や日本海、あるいは海外では北方のベーリング海といった印象が強いが、朝鮮半島東岸部(日本海側)でも水揚げされていたらしい。これまでの疑問のひとつが、なぜ北方で採れるスケトウダラの卵が朝鮮半島で加工されていたか、ということだったのだが、大量に水揚げされていたことで、スッキリとつながった。魚卵を辛子につけて保存が効くようにした惣菜だったのだろう。高価でなかったという記述があるが、タラの魚卵をどうにかして食べようという文化は、欧米には少ないようだ。朝鮮半島でも、どちらかと言えば「もったいないからどうにかして食べられないか」といった動機から生まれたものではなかったのかと思う。「明太」の卵「明卵」といい、塩辛類を「ジョ」と呼ぶそうで、「ジョ」に漬けた「明卵」で「明卵ジョ」というのが、韓国での呼び名だそうだ。韓国国内では、現在でもニンニクの味が効いたものが好まれているらしい。

 釜山で中学を卒業した俊夫が、「南満州電気株式会社」に入社し、その後、奉天、新京、平壌へと転属し、招集されて釜山に戻る。釜山ではその頃、俊夫の兄が食料品店「富久屋(ふくや)」を切り盛りしていたそうだ。「ふくや」はこの店名をついだらしい。釜山から沖縄に配属された俊夫は、宮古島のとなり、伊良部島の防衛が任務だった。周知の通り、沖縄戦を経て復員した兵士は少なく、米軍の上陸ルートが少しでも変わっていたら、川原俊夫も戦死していたことだろう。そうなれば「ふくや」も「明太子」も生まれていなかっただろう。あるいは、満州からの引揚船に俊夫の妻・千鶴子と次男の健が無事に乗ることができなかったら、その後の「明太子」をめぐる物語も形を変えていただろう。復員した俊夫は兄とともに、焼け野原だった福岡の闇市で駄菓子を打って商才を発揮したという。福岡市は昭和23年4月に中洲市場の開発に着手し、新規入居者を募集した。昭和23年10月5日「ふくや」は創業し、当初は乾物、豆類、調味料などを売っていたと記してある。店の看板となる商品を考えるうちに、釜山で食べた「メンタイ」を商品化することになる。昭和24年1月10日に初めて「明太子」が店頭に並んだそうだ。この頃の描写は著者の少年期の記憶を元に、中洲市場の様子や、創業から間もない「ふくや」の様子、父・俊夫の商売の仕方や人付き合いなどが、いきいきと描かれている。「味の明太子」の漬けダレや唐辛子調味料の配合が決まるまでの試行錯誤など、とても読み応えがある。

 現在「ふくや」では、俊夫の生誕100周年の記念事業として、当時の味を再現した「味の明太子 復刻」を発売している。昔の味を再現する過程の試みがまた、面白い。現在、明太子の原料はアラスカ産やロシア産が主で、近海ものは漁獲量が激減していて、値も高い。この復刻版では「近海子」と呼ばれる国内産のタラコを使い、生のまま塩打ちして材料としているそうだ。博多の明太子業界でも、国産にこだわるメーカーがあるが、全体にやや小ぶりな印象がある。冷凍物でないタラコは漁獲後に魚が跳ねて体を打ち、胆汁が沁み出して卵嚢の端が緑かかったり、黒ずんだりするらしい。見た目は悪くなるが、魚卵の立ち具合や漬けダレのしみ方が抜群らしい。確かに冷凍の過程をできるだけ省いたものは魚卵の起ち具合がいい。僕らはそれを総合して「魚卵味がいい明太子」と呼んでいる。

 著者は、博多土産としての明太子の普及は、昭和50年の東海道・山陽新幹線の開通が大きな要因だという。僕は昭和37年生まれで、高校までは主に福岡で暮らしていた。東京の大学に行くようになると、帰省の土産に明太子を持って帰った。居酒屋でアルバイトしていたこともあり、そこの店長や板前さんにも、「ふくや」や「福太郎」を持って帰り、どっちの味が好みかと言いながら、アルバイト先での「まかない飯」を楽しんだりした。おそらく著者の言うとおり、輸送時間の短縮化が、普及の大きな要因であろう。

 この項で心を捉えるのは「特許はあえて取らず」の記述である。俊夫の言葉にあるように、ニセモノが出回らないように特許取得を進める周りの者に、「明太子は惣菜、特許は取らん」「味の好みは人それぞれ。安くておいしいなら、どんどん出てきてよか。」「うちのがおいしいと思う人は必ずうちのを買ってくれる。」と聞く耳を持たなかったという。製法も公開したが、それでも調味料と唐辛子の配合は秘密を守ったという。しかし、「味の明太子」のパウダー状唐辛子を協同で開発した会社が、他社とも「ふくや」とは異なる調合で取引をしたいと申し出たら、あっさりとそれを許したという。(p77)現在、「全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会」には、116の製造会員がいるという。その発展の源には、「儲かってどうするとか」という川原俊夫の豪快さがあったといってもいいだろう。

 第2章「川原俊夫の遺言」では、俊夫が他界した後を妻・千鶴子が引き継ぎ、昭和55年8月に「株式会社ふくや」として、再出発する経緯が描かれている。俊夫は福岡では有数の高額納税者となってからも、会社の拡大を望まず、卸売もせず、直営店での販売だけにこだわっていた。「「児孫のために美田を買わず」と言う。父は見事なまでに個人財産を残さなかった。」と著者は述懐する。品質管理の徹底と、俊夫の理念を踏まえながら、直営店の拡大、駅や空港への進出、通販の開始など、現在に至る事業の展開が描かれていく。東京のモノレール浜松町駅に直販店舗ができたのが、昭和60年だと書いてある。僕が大学生の頃には、東京でも「ふくや」が購入できるようになった反面、東京で買えるのならば、土産にするのは、福岡でしか買えない別のメーカーにしよう、と思っていた。へそ曲がりな人間は、販路が拡大したり、有名になって普及したりすると「味が落ちた」などと言うものだ。僕自身も正直なところ「ふくや」に土産としての真新しさを感じなくなっていた。しかし、俊夫が言うように明太子は惣菜なのだから、馴染みの味が一番いい。美味しいものが安く買えるのならば、それが川原俊夫の理念であろう。それにしても第2章に描かれる、会社としての「ふくや」の社会貢献には頭が下がる。育児休暇や社員の地域貢献への積極的な姿勢は、そうしたボランティア活動が会社からの有給で行われる申請制度があることで判る。

 第3章「ふるさとへの恩返し」は川原俊夫の「中洲の日蓮さん」としての人柄や、地域との関係が描かれている。僕は「山のぼせ」という言葉が好きだ。「山笠に熱狂的に入れ込む人」のことであるが、博多の山笠だけでなく、全国各地に祭り好きはいる。年に一度の、あるいはそれ以上に感覚の開く地域の祭りに対して、祭りを中心に動いている人達がいる。人生の殆どが祭りの準備であるような人たちだ。これは、祭りそのもの魅力と言うよりは、その地域が祭りを理由に、繋がりを強固にして、一体感を持って行動するからなのだと思う。僕は福岡には長く住んだが、父親が転勤を重ねていたため、地元というものがない。博多の山笠も、どんたくも、いつも見物人のひとりとして観ていた。だから、地域のために地域に根ざして活動をすることに、若干の嫉妬を覚え続けてきた。子供の頃に読んだ漫画『博多っ子純情』にも度々山笠をめぐる物語が登場していた。戦後の復興とともに「祭り」の復活が望まれたのは、地域が活気を取り戻すための大きな中心軸だったからだろう。中洲市場の復興とともに、博多でも「博多祇園山笠」や「どんたく」が復活していく。「山笠」の起源は鎌倉時代からだと言われ、770年の歴史があるという。幾つもの「舁き山」を引き回していくグループを「流」という単位で呼ぶけれど、「中洲流」の創設者の一人がこの川原氏だとは知らなかった。昭和24年に「中洲流」ができたと記されている。「流」という共同体を作ることによって、その地域の一体化を図ろうと思ったのだろう。本書を読み進めていくと、川原俊夫の「山のぼせ」も当然の帰結のように思われる。

 現在の中洲川端地区は、平成8年の「キャナルシティー博多」の開業や、その後の「博多リバレイン」「博多座」「福岡アジア美術館」の開業など、大規模な地域再開発が進行し、街の景観もイメージも随分と変化した。博多川周辺の清掃活動、中洲に掛かる橋のリニューアルなど、現在に至るまでの地道な地域の下支えには、常に川原俊夫がかかわっていたことを知った。

 僕の読後の素直な感想はこうして出てきた。「そうだったのか、川原俊夫さん、ありがとう」。
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2012年10月22日

マルエツの明太子

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すでに様々な明太子を試食したため、新しい話題を提供する機会がなく、ブログ更新もご無沙汰しておりました。
最近は大手スーパーの独自ブランド明太子も目にするようになり、全国的にもそこそこ美味しい明太子を食する機会が増えてきました。TMCでは以前、イトーヨーカドーのセブンプレミアム明太子を一般家庭の常備菜としては合格と、評価しました。
今回はマルエツより独自に販売されていた明太子の試食です。こちらはセブンプレミアム明太子が3本で398円に対し2本で298円。店頭で見た時にはなかなか期待できるのでは…と思ったのですが、切って御飯にのせてみると、若干粒々感が弱い印象を受けました。
味も、塩辛さでお茶を濁している感じで、TMCとして、御飯のパートナーには承認できないという判断にいたりました。チャーハンやスパゲティーに混ぜて、明太子料理的に使う方が無難です。
マルエツさんには、もう少し頑張っていただきたい…。
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2012年06月01日

ナデシコ JAPAN「那嘉島のからし明太子」

「博多なかなか」というドライ明太子で知られる中島商店。
そのオリジナル明太子「那嘉島のからし明太子」を試食しました。
先日の大福岡展で購入した物です。
国産のタラコを使用しているというその明太子は、小振りながら美しい形をしていて、色も桜の花を感じさせる爽やかなサーモンピンク。
可憐な姿からは少し意外な感じがするのですが、キリリとした辛さがあります。ダシや塩加減が、辛さを引き立てるようにバランス良く効かされています。京料理のような、食材の魅力を活かしながら繊細な工夫がなされている気がします。
清楚で控えめなのに、芯がしっかりしている、大和撫子のような明太子です。

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ラベル:明太子 中島商店
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2012年04月19日

東京明太子倶楽部2012年度の課題テキストおよび研究課題

東京明太子倶楽部から本年度の課題テキスト及び研究課題が発表されました。テキストと研究課題は今後随時加えられていきます。

明太子基礎理論A(物語の構造分析)
於:板橋本部 集中講座
講座の目的
この講座は、明太子業界が、今後は商品の素材や味覚の優位ということだけでなく、明太子をめぐる製造過程やその商品に掛ける情熱を、食文化の記憶として広くしらしめる必要を前提にしている。したがって「物語」の構造を確かな知識とし、また、日本の食文化の語り部たることを目指している。

講座の達成されるべき目標
明太子の「赤」が単に商品加工上の過程で加えられた唐辛子の「赤」によるという作業上の結果ではなく、その「赤」が、物語を構成する大きな力学によって導かれた「赤」であることに、少なくとも明太子の研究者が自覚的であることを促すための講座である。受講者は「赤」が、たまたま選ばれた素材上の偶然などと誤解すること無く、明太子がなぜ「緑」や「黒」やあるいは「緋色」としても表現されていないかという、物語の構造上の問題に留意すべきである。このことは「赤」によって誘発された様々な物語を読み解くことから考察される。

テキスト:『「赤」の誘惑 フィクション論序説』蓮實重彦 新潮社
「赤」の誘惑―フィクション論序説 [単行本] / 蓮實 重彦 (著); 新潮社 (刊)

課題
『赤ずきん』の頭巾はなぜ「赤」でなければならなかったか、について指定のテキストの論考を元に考察し、「明太子はなぜ赤いのか」について独自の論理を展開せよ。同時に『赤い靴』(野口雨情・作詞)の女の子の靴はなぜ「緑」や「青」ではないのかについても言及せよ。コナン・ドイルによる『緋色の研究』を参照しても良い。


明太子理論演習B(所作の描写)
於:板橋本部 集中講座
講座の目的
「食」に付随する様々な振る舞いを美しく論じることは、明太子をめぐる食文化を伝えるために必要かつ有用な態度である。この講座を通じて、「食べる」という所作ばかりではなく「吟味する」あるいはその前に、食物の配置や盛り付けを「見つめる」といった一連の動作を描写し、その所作の背後にある文化的な図像を探る。

講座の達成されるべき目標
指定されたテキストの描写を暗唱できるまでに反芻し、その振る舞いの過剰な描写を読み取りながら、背後にある「日本」という物語の総体を考察する。

テキスト:『表象の帝国』ロラン・バルト ちくま学芸文庫版
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) [文庫] / ロラン バルト (著); Roland Barthes (原著); 宗 左近 (翻訳); 筑摩書房 (刊)

課題
ロラン・バルトによる指定のテキストの描写を参考に、各自で「白米と箸との空間的な緊張関係」または「食材とそれを食する意識との距離感」を描写せよ。
指定の箇所は以下のとおりである。

A:「箸は、まずはじめにーーその形そのものが明らかに語っているところなのだがーー指示するという機能を持っている。箸は、食べ物を指し、その断片を示し、人差し指と同じ選択の動作を行う。しかし、そうすることによって、同じ一つの皿の中の食べ物だけを、機械的に何度も反復して嚥み下して喉を通すことをさけて、箸はおのれの選択したものを示しながら(つまり、瞬間のうちにこれを選択し、あれを選択しないという動作を見せながら)、食事という日常性の中に、秩序ではなく、いわば気まぐれという怠惰とをもちこむのである。」

B: 「【すき焼き】、この作るにも費消するのにも終わることのない料理、その料理作りの技術的な難しさのためではなく、人が煮るにつれて費消されることを本質とし、したがって〈繰り返される〉ことを本質とするこの料理、【すき焼き】には、食べはじめの合図(目の前に運んでこられた、食べ物によって描かれた大皿)しかない。」
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2011年07月07日

韓国ミョンテは「カンペキなニセモノか?」

城北開発担当理事の「韓国ミョンテ調査の旅」報告からずいぶんと時間が経ってしまいました。
既に明太子の味については報告されているので、ここではその時の緊急幹部会の様子を報告します。

彼が持ち帰った「韓国明太子」をどのように評価するべきか? 我々TMCは、緊急幹部会を提案し、城北開発担当理事を待っていたのでした。パッケージが比較的小さいので、それだけでは全員の欲を満たしきれないと判断し、サイドメニューを準備しました。

テーマは「かんぺきなにせもの」です。これは城北開発担当理事が韓国の調査で発見した露天の言葉です。写真には「かんぺき な にせものあります」という力強いメッセージが映し出されていました。
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↑TMC幹部会の今回の研究テーマ「かんぺきなにせもの」は、この店の掲示物よりヒントを得た。

考えてみれば、韓国産の明太子というのは「完璧な偽物」かもしれません。明太子はもともと韓国で辛子漬けにされたタラコが食されていて、それを博多の老舗「ふくや」の主人が持ち帰って、日本風にアレンジしたと言われています。そうなるとルーツは韓国だけれども、日本風の「明太子」は逆輸入ということになるのでしょう。城北開発担当理事が持ち帰ったのは、明らかに日本人への土産物を意識した「韓国明太子」です。


というわけで、「完璧な偽物」です。
まず、すぐに思い浮かんだのが「明太子キャビア」でした。
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これは、有楽町の「ザ・博多」で発見していたものの、なかなか手にする勇気がなくて見送り続けていた品物です。今回のテーマにはぴったりだと思いました。円形の缶に入ったそれは、見るからに怪しげです。アメリカ産のタラコを原料に魚卵だけを取り出して味付けしてあります。ブランデー風味と記されていますが、かすかにそういう香りがするなといった程度です。クリームチーズと合わせてみたのですが、まずまず無難な組み合わせでした。意外に魚卵味が立っているのは面白いと思います。
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さらに、福太郎の「明太子ジャーキー」と、よせばよかった「ジャンボ明太子ソーセージ」を「ザ・博多」で入手して試しました。TMCの分類では「明太子ジャーキー」が第2類、ソーセージは第3類にあたります。
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ジャーキーはつまみとしては美味しいのだけれども、明太子の生感を残しているために、驚くほど歯にくっつきます。これには参加者全員が閉口しました。中島商店の「博多なかなかドライ」とよく似ていますが、この「ドライ」商品に関しては、同じく中島商店の「皮ドライ」が圧倒的に優れていると思います。つまり、魚卵部分を思い切って採用せずに、皮だけをドライ化したものですが、歯につく度合いが少なく、半生感とパリパリ感が共存しています。魚卵部を使うならば、半生感を切り捨てて、思い切りドライに仕上げたほうがいいのではないでしょうか? 福太郎にはもう少し工夫を加えてほしいものです。
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↑よせばよかった「ジャンボ明太子ソーセージ」



その他のサイドメニューは、定番の組み合わせで準備しました。

以前この場で紹介した「ちょんまげ」は未経験の理事にも試してもらいたいと、博多の徳平から240g入を取り寄せました。全員が酒飲みなので、食感の驚きと共に、つまみに最適であると絶賛でした。
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↑パッケージも美しい「ちょんまげ」は大好評。


明太子ではありませんが、「富山館」で入手した「ホタルイカの沖漬け」は新モノで「クロ」という商品でした。これは濃厚でありながら新モノの爽やかさもあり、好評でした。練馬支部長によれば「ホタルイカに宇宙を感じた」ということでした。
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最後はもつ鍋とちゃんぽんです。
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2011年05月18日

「韓国ミョンテ調査の旅」- 城北開発担当理事の研究レポートより -

TMCの期待の若手でもある城北開発担当理事より「韓国ミョンテ調査」の報告を受けたので、ご紹介します。(以下レポート)

今回、城北開発担当理事である私はソウルへ向かった。その目的は冬のソナタの撮影スポットへ行くことでもなく、ソニョシデ(少女時代)のライブ会場限定ポストカードを手に入れることでもなく、当然のことながら韓国のミョンテ、つまり明太の研究である。
日頃から理事なのにただ食べ、泥酔するまで飲み、挨拶もそこそこに帰ってしまう無礼な人物と言われ続けてはや数年、なんとしてもその汚名をはらすべく現地へと向かった。
古くから朝鮮半島ではスケトウダラの卵が塩漬けにされて食されていたが、韓国の明太子は刻んだ唐辛子とともに塩漬けする方法が定着していったという。
3泊4日の滞在期間でサムゲタンやサムギョプサル、冷麺など人気の食事に舌鼓を打ちながらも、常に明太子を食している人々はいないだろうかと周囲に目を配ることは忘れない。
テーブル一杯にチャミスルの瓶が並び、酩酊しようともどこかのテーブルに赤いそれが置かれていないだろうかと神経を研ぎすませることも忘れない。酩酊しているけれども。
ご存知の通り韓国ではメインの食事、例えばサムゲタンを注文したときにそれ以外に沢山の副菜ともいうべき品々がテーブルに所狭しと並ぶ。その中には必ずといっていいほどキムチは出てきたのだが、求めているあの一品が出て来ない。
メニューを見てそれらしいものを頼もうにも宿泊地は観光地として有名な明洞(ミョンドン)から地下鉄で2、30分ほどの清涼里(チョンニャンニ)。日本語は通じず、beerすら理解されない。結局空港へと向かう際に立ち寄った土産物屋で購入するに至った。

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プラスチックのケースの中に密閉された明太子が二腹ほど入っている。大きさは12、3センチほどである。一見すると良く見るタイプに見えるのだが、口に入れてみると大きな違いがあった。

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それは粒が非常に細かいのである。しかしここでこの明太子を売っていた店員が日本語で「とても滑らかデスヨ」と言っていたのを思い出す。
そう、細かいというより滑らかといった方が適切なのだ。それはつまりTMCで最も重要視される「魚卵味」が失われてしまっているのだ。
もう少し味の評価をしていこう。ソウルで出会ったキムチはどこの店も非常に唐辛子の味が強く、日本のスーパーで売られているような日本人向けのキムチが持つ甘みよりも酸味が際立つ。明太子でもその唐辛子の強さのようなものを期待していたのだが、ここでも予想を裏切られた。辛みや香りがなく、後に残るのは強烈な塩辛さである。
これは本当にパッケージにあるように伝統食なのだろうか。塩を利かせることで保存食としての役割を果たすことは理解出来るのだが、これではあまりにもご飯が進みすぎる。
何か手がかりはないかともう一度パックを見てみると、裏に韓国語で色々と書かれた最後の一行に英語で

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もう一度改めて調査をする必要があるようだ。

余談だが私が宿泊したチョンニャンニをYouTubeなどで検索すると街の雰囲気が掴めると思う。
本当の目的はこれだったのかと誤解されてしまうかもしれないが、断じてそうではないと強調しておこう。
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2011年04月16日

「スモーク明太子」は「変わり明太子」ではあるけれども確かに美味しい

既に総務二課長から報告があったとおり、昨日4月15日(金)新宿の「博多舁き山」で幹部会を行いました。
今回はコース料理を試そうということで、最もお手頃な「差し山コース」をお願いしました。酢モツの後に出てきた三種類の明太子の中にあった「スモーク明太子」に一同は目を奪われました。しかも名柄を知らせる小さな札に「ちょんまげ」と書いてあります。以前、東京明太子クラブにもメッセージを残していただいた舁き山の山崎さんは「次の機会はスモーク明太子もお試しください」と書いていただいていました。もしかするとお薦め三種に加えてくれたかもしれません。
しかし名前が「ちょんまげ」です。我々は、博多の物好きが試しに変わった明太子を作ったに違いないと、あまり期待しないで、しかし、そのプリプリした姿に少し見とれながら、手を伸ばしました。
「うまい!」スモーク独特の香ばしさが口に広がり、その後にやや大粒の明太子がやってきます。スモークされた外皮は美しい張りがあり、噛んだ時の食感と外皮を破る時の小さな達成感があります。一人に一切れが割り当てられましたが、ビールを飲んでいた欧州開発担当Nは、一口かじった後に、残りの三分の二ほどを小皿の隅に置きました。ビールではなく次ぎに注文するであろう透明な方で試そうという魂胆です。酒好きのささやかな楽しみをさりげなく示したNは、とても30代の女性とは思えない酒好きの域に達しています。その後、Nが「島美人ロック」と一緒に残りのスモークを食したのは言うまでもありません。
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さて、この「スモーク明太子」位置づけをどう評価するかは、いずれTMCの総会に諮らなければならないでしょう。美味であることは間違いないのですが、これをストレート明太子の一種と考えるかどうか、注意深い判断が必要だと思います。実はこの日、以前ここで初めて試した「副太郎のワイン漬け」の話をしていたら、店長さんが出してくださいました。粋な計らいをありがとうございました。この「ワイン漬け」も我々にとっては未知の味で面白いのです。前回の印象と同様で、控え目なワインのテイストと少し荒めに引かれた黒胡椒のバランスが絶妙です。ワインが明太子に合うはずはないという思い込みを一蹴しました。焼酎漬けや大吟醸漬けといったストレート明太子の変種である「変わり明太子」の部類です。

そして「スモーク明太子」も変わり明太子の種類でしょうか? そうすると例えば「博多ふくいち」や北海道知床の藤井水産の「炙り明太子」はどうなるのか? あるいは中島商店の「ドライ明太子」はどうなのか?
ひとつの考え方は、スモークなり、炙りなりをお店で施したか、製品として炙られた状態でパケージ化されているか、が分かれ目でしょう。ストレート明太子をお店で炙った場合は、それは調理法ですから明太子料理の一種です。炙られたりスモークされたものが製品化されている場合は「変わり明太子」と考えるべきでしょうか? そうなると「ドライ」の位置がさらに微妙です。

とにかく、美味しかった「スモーク明太子」の基本データ↓です。一度お試しください。
生産者は1992年に設立した「株式会社シーフーズなた」で、その明太子ブランド「徳平(とくべい)」の「スモーク明太子」です。徳平のネーミングは社長の徳永時太郎からだと思われますが「ちょんまげ」の動機は不明です。形でしょうか? この徳平は「博多おっしょい」と「芋焼酎漬け」が主力だったようです。が「スモーク明太子」は2006年から始めた比較的新しい商品ですね。
70g1050円。原料の魚卵はやや大粒なアメリカ産、スモーク用のチップは北海道帯広産の桜材だということです。香ばしいはずです。液体の薫製液などは使用していないと明言しています。
http://www.seafoods.jp/item-shosai/chonmage-ss.html

「博多舁き山」のスタッフの皆さん、店長の入松川さん、山崎さんお世話になりました。
最後のもつ鍋としめのチャンポン麺も美味しかったです。
遅れてきた城西担当支部長Tの為に宴の時間なども延長していただきました。お心遣いに感謝いたします。
ラベル:明太子 スモーク
posted by 明太子 at 17:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 明太子研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月27日

明太子倶楽部お薦めの店「博多 舁き山」

「舁き山」(かきやま)は楽しい店だった。

東京明太子倶楽部にコメントを残してくれた、博多「舁き山」新宿店が気になっていた。
HPを観ると明太子料理と食べ比べのためのストレート明太子を取りそろえているようだった。「これは、行ってみるべし」と、代表と総務二課長で訪れてみた。

行ってみて気がつくのだが、西新宿のこの界隈は「博多〜」のお店が多いようだ。もつ鍋とか、九州料理といった看板が幾つか目についた。
通りから小さな階段を降りていくと「舁き山」があった。
カウンターが9席、テーブルが25、6席と座敷が5人席くらいだったろうか? 広すぎず落ち着いた感じの店内だった。どうやら予約が沢山入っているようで、5時半くらいに店にはいるとカウンターに通された。早く来て良かった。カウンターには女性の二人組と、座敷にはバンドの練習を終えたらしい一団がいた。

メニューを見ると、様々な料理のメニューとは別に、ストレート明太子のメニューが用意してある。食べ比べの三種盛りや五種盛り、福太郎四兄弟といった具合で、食べたことのない種類があった。やまや、ふくや、稚可栄、「あごおとし」など馴染みのラインナップもあった。我々の目を引いたのは「福太郎のワイン明太黒」だった。以前、福岡の空港で見つけたものの見送っていた、あのワイン漬けだった。はやる気持ちを抑えながら、まずは幾つかの料理を注文してみた。

酢モツは博多でもよく食べていたのだが、店によって味付けが異なっていて面白い。「舁き山」の酢モツは比較的細めに刻んであって食べやすい。また、添えてあった柚胡椒がとてもパンチのある辛みで良かった。どこの柚胡椒だろうか?
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↑柚胡椒のアクセントが効いている上品で美味しい酢モツ


続いて鶏刺しの三種盛りを注文してみた。この店の鶏は天草大王という地鶏だ。三種盛りにはむね刺し、ズリ刺し、もものたたきが楽しめる。見た目がとても美しく、特にズリが美しかった。薬味の山葵、にんにく、練り梅がどれでもよく合う。香ばしいもも肉も良かった。
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↑総務二課長を虜にした絶品鶏刺。九州のたまり醤油との相性も良い。


次に「みょうがと明太の紫蘇包み天ぷら」を試してみた。みょうがは独得の味の癖があるので難しいのではと思ったがとても相性がよかった。サッと油に通すくらいでさくっとしているので、明太子も揚がりすぎずほどよい。
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↑繊細な包み方に意気込みが感じられる。


「明太子のポップコーンシュリンプ」も興味を惹いた。これは明太子が前面に出ているわけではないが、海老に挟んである辛みが時々しみ出してきて美味しい。辛口の明太子が時々主張してくるさまが愛おしかった。
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↑エビの背一匹ずつに明太子を仕込むという手の込んだ料理

他にも幾つか明太子創作料理があって、どれも楽しそうだったので、次の機会には挑戦してみよう。

いよいよ「福太郎四兄弟」だ。
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↑福太郎四兄弟。左からワイン漬け黒こしょう、柚子、昆布、オリジナル

福太郎はこれまでにもオリジナルや辛口は試していたが、柚とワインは初めてだった。福太郎の明太子はとても味が濃くてしっかりしているのが印象的だ。御飯とはとてもよく合う。「舁き山」では白御飯も注文できるので、白米合わせが楽しかった。
福岡にいた時は、まだ、今ほどの種類はなかったので、ふくやか福太郎を好んで食べていた。母親が「福太郎はふくやから暖簾分けしたらしい」といっていたが、調べてみると全くのガセネタだった。ふくやの創業者のヒストリーはとても面白いので、参照されたい。福太郎は食用油の製造から明太子業界に進出した山口油屋が前身らしい。最近はどの会社のHPも充実していて、とても面白いし、ためになる。
「ワイン漬け」は、予想に反して優しい味だった。辛みもそれ程ではない。焼酎漬けや吟醸漬けといったものは、どうしても特徴を出すべく、浸けダレの味が前面に出てくるのだが、これは「言われてみればワインかな」といった程度である。しかし、表面にまぶされた黒胡椒が実はかなり味を引っ張っている。これは面白いと思った。試みにこの店の白ワインを注文して、合わせてみた。とてもスムースな取り合わせになっていた。ワインの名前を聞いてみたが部分的な情報しか憶えていない。辛口でやや軽い感じのワインだった。御飯と合わせるよりは、何か別の素材と合わせてみたくなる明太子だった。

いずれにしても「舁き山」は楽しい店だった。明太子好きは大満足だろう。焼酎も充実している。もつ鍋や鶏の水炊きなど、まだまだ試してみたい料理があったので、次回のお楽しみにとっておこう。
ありがとう「舁き山」。
舁き山のHP↓
http://www.hakata-kakiyama.com/
posted by 明太子 at 17:10| Comment(3) | TrackBack(0) | 明太子研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする