明太子基礎理論A(物語の構造分析)
於:板橋本部 集中講座
講座の目的
この講座は、明太子業界が、今後は商品の素材や味覚の優位ということだけでなく、明太子をめぐる製造過程やその商品に掛ける情熱を、食文化の記憶として広くしらしめる必要を前提にしている。したがって「物語」の構造を確かな知識とし、また、日本の食文化の語り部たることを目指している。
講座の達成されるべき目標
明太子の「赤」が単に商品加工上の過程で加えられた唐辛子の「赤」によるという作業上の結果ではなく、その「赤」が、物語を構成する大きな力学によって導かれた「赤」であることに、少なくとも明太子の研究者が自覚的であることを促すための講座である。受講者は「赤」が、たまたま選ばれた素材上の偶然などと誤解すること無く、明太子がなぜ「緑」や「黒」やあるいは「緋色」としても表現されていないかという、物語の構造上の問題に留意すべきである。このことは「赤」によって誘発された様々な物語を読み解くことから考察される。
テキスト:『「赤」の誘惑 フィクション論序説』蓮實重彦 新潮社
![「赤」の誘惑―フィクション論序説 [単行本] / 蓮實 重彦 (著); 新潮社 (刊) 「赤」の誘惑―フィクション論序説 [単行本] / 蓮實 重彦 (著); 新潮社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41OL3s5EQiL._SL75_.jpg)
課題
『赤ずきん』の頭巾はなぜ「赤」でなければならなかったか、について指定のテキストの論考を元に考察し、「明太子はなぜ赤いのか」について独自の論理を展開せよ。同時に『赤い靴』(野口雨情・作詞)の女の子の靴はなぜ「緑」や「青」ではないのかについても言及せよ。コナン・ドイルによる『緋色の研究』を参照しても良い。
明太子理論演習B(所作の描写)
於:板橋本部 集中講座
講座の目的
「食」に付随する様々な振る舞いを美しく論じることは、明太子をめぐる食文化を伝えるために必要かつ有用な態度である。この講座を通じて、「食べる」という所作ばかりではなく「吟味する」あるいはその前に、食物の配置や盛り付けを「見つめる」といった一連の動作を描写し、その所作の背後にある文化的な図像を探る。
講座の達成されるべき目標
指定されたテキストの描写を暗唱できるまでに反芻し、その振る舞いの過剰な描写を読み取りながら、背後にある「日本」という物語の総体を考察する。
テキスト:『表象の帝国』ロラン・バルト ちくま学芸文庫版
![表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) [文庫] / ロラン バルト (著); Roland Barthes (原著); 宗 左近 (翻訳); 筑摩書房 (刊) 表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) [文庫] / ロラン バルト (著); Roland Barthes (原著); 宗 左近 (翻訳); 筑摩書房 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51M90PBGVFL._SL75_.jpg)
課題
ロラン・バルトによる指定のテキストの描写を参考に、各自で「白米と箸との空間的な緊張関係」または「食材とそれを食する意識との距離感」を描写せよ。
指定の箇所は以下のとおりである。
A:「箸は、まずはじめにーーその形そのものが明らかに語っているところなのだがーー指示するという機能を持っている。箸は、食べ物を指し、その断片を示し、人差し指と同じ選択の動作を行う。しかし、そうすることによって、同じ一つの皿の中の食べ物だけを、機械的に何度も反復して嚥み下して喉を通すことをさけて、箸はおのれの選択したものを示しながら(つまり、瞬間のうちにこれを選択し、あれを選択しないという動作を見せながら)、食事という日常性の中に、秩序ではなく、いわば気まぐれという怠惰とをもちこむのである。」
B: 「【すき焼き】、この作るにも費消するのにも終わることのない料理、その料理作りの技術的な難しさのためではなく、人が煮るにつれて費消されることを本質とし、したがって〈繰り返される〉ことを本質とするこの料理、【すき焼き】には、食べはじめの合図(目の前に運んでこられた、食べ物によって描かれた大皿)しかない。」